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19日、突然……実家の父が逝ってしまった。
その日の午後、私は好きな絵を描いていたのだが、母から「救急車を呼んだ」と知らせを受け慌てて実家に走った(徒歩3分な近所である)。
救急隊員が、心肺蘇生(多分、儀礼的に)をしているのを見て「もう、駄目なんだろうな」と直感したが、信じたくはなかった。
しかし、万一命が助かっても、救急車が来るまで母が救命処置なぞ出来る訳ないので、脳死は避けられないだろうとも思った。
昔から心臓を患っていたので、“何時かは…”と覚悟していたものの。
本当に、突然で呆気ないので、悲しんでいる暇も無いまま、忙しく葬儀をこなした。
私は一人っ子なので、こんな時に頼れる兄弟はいない。しっかり母を支えられるのは、自分しかいない。(主人や姑達には、非常に世話になった)
そう思い、気を張って葬儀の手伝い・仕事・家事をしていた訳だが。
葬儀が終わった途端、一層ボケに磨きが掛かったようだ。今日も、慣れてる仕事の
手順を間違えたり、気が付くと無意味な行動をしていたり。
まだまだ、諸手続きが山程あるのでボケている暇はない…。
しかし、ゆっくり泣く時間も欲しいものだ。もともと涙腺が弱い私は、葬儀の間中
『なるべく泣くまい』と必死に他所事を考えていた。
“坊主丸儲け”から連想して、「BJは所得税を払っているのか?」とか
「健康保険やら年金は加入しているのか?『BJ入院す』で保険証出して、正規の値段で入院費を払ったのか…?(自分は、命の報酬を高く考えてるクセに?)」
等と、どうでも良い事をつらつら考えていたおかげで、とりあえず無事にすんだと思う。
でも、お別れに遺体の顔や手足を拭いて清めるのは、かなり辛い。
嫌でも、二度と動かない身体やその冷たさを確認させられる。
倒れた側へ血が鬱血していたが、死に化粧をして判らない位に綺麗になった。
その顔は、苦もなさそうな顔だが、心停止するまでどんなに苦しかった事か。
生前、何度も親子間の衝突もあったし、嫌な思い出も沢山あるのだが…。
やはりこんな時は、「もう、話を聞いて貰えないんだなぁ」とか「あの時ああすれば良かった、もっと孝行すれば良かった」とか
幼い頃の思い出も蘇って来て、うっかり泣いてしまう。
寿司職人であり板前だった父が、毎日立っていた実家のキッチンに自分が立つ。
調理をすると、その道具達にも様々な思い出が詰まっている事に気付いた。
嫁いでから、久々にその包丁を見たが、相変わらず何と良く手入れされている事だろう。常に研ぎ澄まされて居る為、私の記憶より余程包丁が小さく・細くなっていた。
父から包丁の研ぎ方を教わってはいるが、私ではこんなに良く出来ない。というか、
ものぐさなので、余程切れなくならないと研がないし。
倒れたその日も昼食を作ったらしい流し台は、「使う度に綺麗にしておけ」と
うるさかっただけに、綺麗だ。
道具を見ているだけでまた涙が溢れて来てしまったが、とりあえず刻んでいるネギの所為にしておく。
形見に父が料理のメモをしていた手帳を貰った。プロとして、他の料理人から技を盗んで書き留めたものもある、貴重なものだ。
私がこれを存分に生かせる程の技術はないとしても、父の様に人に喜んで貰える
料理が作れるようになりたいと思う。
私は、休まず仕事(品物の出荷だけなので)しているが、
車の運転中に『Destiny-太陽の花-』を聞いていたら涙が出て危険だった。
「あなたがそこに 居るだけでいい」「誰も代わりは 出来ないから」
が、やたら胸に沁みる。こんな感情は、近しい人を亡くして初めて心から思うんだろうな。
……いつか、ゆっくり思い出に浸りながら、存分に泣こうと思う。何時までも、じわじわ泣いてたってスッキリしない。
最後まで、読んで下さった方、ありがとうございました。
次は、なんとか時間の合間にイラストを完成させて、近々UPしたいです。
その日の午後、私は好きな絵を描いていたのだが、母から「救急車を呼んだ」と知らせを受け慌てて実家に走った(徒歩3分な近所である)。
救急隊員が、心肺蘇生(多分、儀礼的に)をしているのを見て「もう、駄目なんだろうな」と直感したが、信じたくはなかった。
しかし、万一命が助かっても、救急車が来るまで母が救命処置なぞ出来る訳ないので、脳死は避けられないだろうとも思った。
昔から心臓を患っていたので、“何時かは…”と覚悟していたものの。
本当に、突然で呆気ないので、悲しんでいる暇も無いまま、忙しく葬儀をこなした。
私は一人っ子なので、こんな時に頼れる兄弟はいない。しっかり母を支えられるのは、自分しかいない。(主人や姑達には、非常に世話になった)
そう思い、気を張って葬儀の手伝い・仕事・家事をしていた訳だが。
葬儀が終わった途端、一層ボケに磨きが掛かったようだ。今日も、慣れてる仕事の
手順を間違えたり、気が付くと無意味な行動をしていたり。
まだまだ、諸手続きが山程あるのでボケている暇はない…。
しかし、ゆっくり泣く時間も欲しいものだ。もともと涙腺が弱い私は、葬儀の間中
『なるべく泣くまい』と必死に他所事を考えていた。
“坊主丸儲け”から連想して、「BJは所得税を払っているのか?」とか
「健康保険やら年金は加入しているのか?『BJ入院す』で保険証出して、正規の値段で入院費を払ったのか…?(自分は、命の報酬を高く考えてるクセに?)」
等と、どうでも良い事をつらつら考えていたおかげで、とりあえず無事にすんだと思う。
でも、お別れに遺体の顔や手足を拭いて清めるのは、かなり辛い。
嫌でも、二度と動かない身体やその冷たさを確認させられる。
倒れた側へ血が鬱血していたが、死に化粧をして判らない位に綺麗になった。
その顔は、苦もなさそうな顔だが、心停止するまでどんなに苦しかった事か。
生前、何度も親子間の衝突もあったし、嫌な思い出も沢山あるのだが…。
やはりこんな時は、「もう、話を聞いて貰えないんだなぁ」とか「あの時ああすれば良かった、もっと孝行すれば良かった」とか
幼い頃の思い出も蘇って来て、うっかり泣いてしまう。
寿司職人であり板前だった父が、毎日立っていた実家のキッチンに自分が立つ。
調理をすると、その道具達にも様々な思い出が詰まっている事に気付いた。
嫁いでから、久々にその包丁を見たが、相変わらず何と良く手入れされている事だろう。常に研ぎ澄まされて居る為、私の記憶より余程包丁が小さく・細くなっていた。
父から包丁の研ぎ方を教わってはいるが、私ではこんなに良く出来ない。というか、
ものぐさなので、余程切れなくならないと研がないし。
倒れたその日も昼食を作ったらしい流し台は、「使う度に綺麗にしておけ」と
うるさかっただけに、綺麗だ。
道具を見ているだけでまた涙が溢れて来てしまったが、とりあえず刻んでいるネギの所為にしておく。
形見に父が料理のメモをしていた手帳を貰った。プロとして、他の料理人から技を盗んで書き留めたものもある、貴重なものだ。
私がこれを存分に生かせる程の技術はないとしても、父の様に人に喜んで貰える
料理が作れるようになりたいと思う。
私は、休まず仕事(品物の出荷だけなので)しているが、
車の運転中に『Destiny-太陽の花-』を聞いていたら涙が出て危険だった。
「あなたがそこに 居るだけでいい」「誰も代わりは 出来ないから」
が、やたら胸に沁みる。こんな感情は、近しい人を亡くして初めて心から思うんだろうな。
……いつか、ゆっくり思い出に浸りながら、存分に泣こうと思う。何時までも、じわじわ泣いてたってスッキリしない。
最後まで、読んで下さった方、ありがとうございました。
次は、なんとか時間の合間にイラストを完成させて、近々UPしたいです。
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プロフィール
HN:
桜 雪乃
HP:
性別:
女性
趣味:
らくがき・ゲーム
自己紹介:
程々にオタク。ほんの一時期同人活動をしていましたが、最近は、もっぱら子育てに追われ、ネットで萌えを追う日々。
特徴、物忘れが激しい上に、のんびり屋。
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